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						隆国寺には、岸岱、岸徳(連山)の描いた襖絵三十六面があり、岸派の襖絵ではこれだけまとまった作品があるのはめずらしく、
						兵庫県の文化財にも指定されています。  | 
				
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							【西序室中】 
								耕作図(仮題) 紙本淡彩 八面 岸岱【西序之間】 
								芦翔鶴図 紙本着色 四面 岸連山【本尊脇】 
								猛虎図 紙本墨画淡彩 八面 岸岱【東序室中】 
								虎渓三笑図 紙本淡彩 二面 岸連山老松孔雀図 紙本着色 四面 岸連山 芙蓉双鶴図 紙本着色 四面 岸連山 【東序之間】 
								芦群鶴図 紙本着色 四面 岸連山桜花雀図 紙本着色 二面 岸連山  | 
						
これらの襖絵は、いづれも年記落款があり、
						「弘化3年歳在丙午秋製之 筑前介岸岱□岸岱(白文)□君鎮(朱文)」
						「弘化丙午秋 同功筑前介岸岱(印右に同じ)」
						「弘化丙之仲秋 連山岸徳 □萬象楼(朱文)□岸徳氏(白文)」
						弘化3年(1846)8月に描かれていることがわかります。
						しかし、どの様な事情により、ここに岸岱、連山が襖絵を描いたかは、明らかではありません。
岸岱
					岸岱(1782〜1865)は、岸駒の長男として、天明2年(1782)京都に生まれました。
						名は雅岱、字は君鎮、号を卓堂、虎岱、紫九、虎頭館とも称しました。
						父岸駒に絵を学び、岸駒によって打ち立てられた岸派を受けつぐとともに、南画や大和絵も取り入れられています。
						慶応2年(1865)84歳の高齢で歿しました。岸派の基礎を固め、幕末から明治へかけての、
						同派発展に尽くした功績は大きい。
						岸岱は、西序室中と本尊両脇の主要な所を描いています。西序室中は、とりあえず耕作図としましたが、
						単なる耕作図ではありません。多くの従者を従えた皇帝が、耕作をする人物を見物に来ている所でしょうか。
						人物の描写や、岩・土坡・樹木の描き方に南画的筆法が加わり、典型的な岸派の様式をしめしています。
						また、仏間の猛虎図も、父岸駒の最も得意とした虎の描き方を受けついでおり、岸派二代目の画目を発揮しています。
						虎の図は、岸派のお家芸でした。
岸連山
					岸連山(1804〜1855)は、岸良(岸駒の娘貞の夫)の弟子で、のち、
					岸駒の義子(連山の妻は、岸良の妻貞の先夫岸成の娘春)となりました。名は徳、字は士道、号は文進、万象楼といいます。
					鋭い筆法と大胆な構図を得意とした岸派の中にあっては、比較的おだやかな作品を描き、とりわけ花鳥図をよくしています。
					連山は、「虎溪三笑図」(二面)、「老松孔雀図」(四面)、「芙蓉双鶴図」(四面)、「桜花雀図」(二面)、
					「鶴翔鶴図」「芦群鶴図」(各四面)の計二十面を描いています。
					「虎溪三笑図」の人物の表現には、岸岱とは異なった大らかさが感じられます。
					特に、顔の表情は印象的です。一方、他の花鳥図は、連山の得意とするところで、孔雀や鶴、雉子などの鳥は、
					生き生きとよく描かれています。おそらく、相当に自然の観察や写生から得たものでしょう。
					また、桜、松、芙蓉、芦なとの花木や植物も、つけたての筆致(輪郭線を描かない描き方)で、木や葉を表現して、
					実に穏やかな感覚を与えています。
					この隆国寺の岸岱、岸連山の襖絵は、数ある彼らの作品中では、特に代表的な作品として位置づけられるでしょう。



