隆国寺縁起宗派 曹洞宗本尊 釈迦牟尼仏 隆国寺は、室町時代の開基で、山名の四天王筆頭といわれた垣屋播磨守隆国公の菩提寺と伝わっています。 実質開基ともいわれる光成公は、策彦周良和尚から、天正4年(1576)に「悦岩」道号記を授かっています。 策彦和尚は遣明使節団の団長もつとめており、中国から持ち帰った牡丹を和尚から道号記とともに贈られたのが、 隆国寺と牡丹の縁の始まりといわれています。元和9年(1623)に金山より現在に移されました。
布金山長者峰という山号は、祇園精舎に由来します。釈尊在世当時のインド、給孤独長者が、 お釈迦様方のために修行道場(精舎)を建立するのに最良の土地を手に入れるため、 自らの財をなげうってその土地に金を布(し)きつめました。お寺を建て、本尊を中心としたその伽藍を、 人々の心のよりどころとして仏法とともに護り伝えることは、ご縁をいただいた無数の人々の功徳によりなります。 この隆国寺も全山が金をしきつめたように尊いかちあるものばかりであり、 仏法僧の三宝が永劫に変わらぬ光で輝き人々を照らし続けることを願う山号です。また長者峰の山号は、 この寺にご縁をいただいた人々が、真に豊かな心をもった長者(ダーナ)となることを祈願しています。
但馬ぼたん寺として古くから親しまれている隆国寺ですが、現在地での牡丹園の再興は天保年間と伝えられています。 飢饉の時、寺の米蔵で民が救われ、その人々の手により庭園が造られました。 すさんでしまった人々の心に豊かさを取り戻すために植えられたのが、心の富貴を象徴する「牡丹」でした。 以来、この寺の「ぼたん」はお参りの人に「富貴の心の花」を開かせてくれるようになりました。
本堂須弥壇中央に祀られている聖観世音菩薩様は、その大慈悲の心により、私達がどこにいようとも、 観音さまを念じさえすれば、いつでも私達を観守り、救ってくださいます。 「吾はほとけにならずとも、生きとし生けるものすべてのものを救わん・・・」 この観音さまの利他の行願は、菩薩としての私達の生き方でもあります。 観音さまの心を自らの心として利他行を行じてゆくことは、自らが観音さまになることです。