本堂内の襖絵三十六面は弘化3年(1846)に岸派の中心となる岸岱・岸徳(連山)の二人によって描かれています。 おおらかな表情の虎渓三笑図、迫力の猛虎図、精緻な孔雀図など見事な作品で、 岸派の作品の中でも特に代表的な作品として、兵庫県文化財に指定されています。
「ぼけふうじ観音」としても信仰される楽寿観音さまは、ぼけないだけでなく、その名のとおり、 人々が楽しく元気に明るく年を重ねることができるようにとの願いをこめた観音さまです。 自らのためだけでなく、ここに自分がいのちをいただくことに感謝して、心をこめて祈れば、 家庭内の心のわだかまりや障りを除き、不安や恐れの心を取り払い、祈る人の心を穏やかに開いて、 仏さまの功徳を受け取ることができるようになります。
ウスサマ明王は、一切の穢れや不浄を焼きつくす炎の中にたち、東司(便所)に祀られます。 東司は、自分を生かすため命をいただいたものに感謝し、その命を生かすことを考える道場です。 素直な心で烏枢沙摩明王に祈るとき、浄不浄を離れて、心が清らかに整い、 おのずから容姿も綺麗になってゆきます。
「ゆたかなる長者の峰のほてい尊 合わすその掌に福をめぐまる」 福福しい布袋さんの姿や屈託のない笑顔を拝んでいると、掌を合わすこちらまでが楽しい気分になります。 苦しみ、悩み、悲しみの心を除き、こだわらない、おおらかな「空」の生き方を教えてくれます。 その大きな袋とお腹の中には豊かな心と同じく、かぎりない福と徳がつまっており、 求めるものには惜しみなくその福徳を分け与えてくれます。あふれんばかりの笑顔とともに。 私心に満ちた凡夫の我々も隆国寺の布袋さんと向き合うとき、 豊かな心を持った真の長者になることができるのです。
智慧の菩薩、文殊さまは坐禅堂に祀られています。 仏に代わって説法し衆生を導く僧の姿で獅子上に坐禅しておられます。 文殊菩薩さまの前で、姿勢を正し、心を静めて掌を合わせるとき、煩悩が滅し、仏の智慧をさずかることができます。 坐禅とは、山川草木すべてのものに仏の姿を拝み、仏の声を聴き、自らが仏を行ずることです。