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隆国寺には、岸岱、岸徳(連山)の描いた襖絵三十六面があり、岸派の襖絵ではこれだけまとまった作品があるのはめずらしく、 兵庫県の文化財にも指定されています。
襖絵は、東西両室中の襖両面に描かれています。ご本尊さまを両側で虎が護り、東序室中は悟りの心象風景である花鳥風月と、 真の平和、宗教の本来のあり方を表す虎渓三笑の図が描かれています。また、西序室中には、 仏心(智慧と慈悲)平常心でもって国を治める君子の様子が描かれています。 仏の悟りの世界から群鶴の図で遮られる東西両序の間も、仏さまの慈悲の光に照らされ、桜が咲き、鳥が遊ぶ、 平和で幸せな衆生の世界を表しています。

ふすま絵紹介

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見取り図
【西序室中】
耕作図(仮題) 紙本淡彩 八面 岸岱
【西序之間】
芦翔鶴図 紙本着色 四面 岸連山
【本尊脇】
猛虎図 紙本墨画淡彩 八面 岸岱
【東序室中】
虎渓三笑図 紙本淡彩 二面 岸連山
老松孔雀図 紙本着色 四面 岸連山
芙蓉双鶴図 紙本着色 四面 岸連山
【東序之間】
芦群鶴図 紙本着色 四面 岸連山
桜花雀図 紙本着色 二面 岸連山

これらの襖絵は、いづれも年記落款があり、
「弘化3年歳在丙午秋製之 筑前介岸岱□岸岱(白文)□君鎮(朱文)
「弘化丙午秋 同功筑前介岸岱(印右に同じ)」
「弘化丙之仲秋 連山岸徳 □萬象楼(朱文)□岸徳氏(白文)」
弘化3年(1846)8月に描かれていることがわかります。
しかし、どの様な事情により、ここに岸岱、連山が襖絵を描いたかは、明らかではありません。


作者紹介

弘化3(1846)年8月に描かれていることがわかります。しかし、どのような事情により、ここに岸岱、 連山が襖絵を描いたかは、明らかではありません。

岸岱

猛虎図襖

岸岱(1782〜1865)は、岸駒の長男として、天明2年(1782)京都に生まれました。 名は雅岱、字は君鎮、号を卓堂、虎岱、紫九、虎頭館とも称しました。 父岸駒に絵を学び、岸駒によって打ち立てられた岸派を受けつぐとともに、南画や大和絵も取り入れられています。 慶応2年(1865)84歳の高齢で歿しました。岸派の基礎を固め、幕末から明治へかけての、 同派発展に尽くした功績は大きい。
岸岱は、西序室中と本尊両脇の主要な所を描いています。西序室中は、とりあえず耕作図としましたが、 単なる耕作図ではありません。多くの従者を従えた皇帝が、耕作をする人物を見物に来ている所でしょうか。 人物の描写や、岩・土坡・樹木の描き方に南画的筆法が加わり、典型的な岸派の様式をしめしています。
また、仏間の猛虎図も、父岸駒の最も得意とした虎の描き方を受けついでおり、岸派二代目の画目を発揮しています。
虎の図は、岸派のお家芸でした。

岸連山

芙蓉双鶴図

岸連山(1804〜1855)は、岸良(岸駒の娘貞の夫)の弟子で、のち、 岸駒の義子(連山の妻は、岸良の妻貞の先夫岸成の娘春)となりました。名は徳、字は士道、号は文進、万象楼といいます。
鋭い筆法と大胆な構図を得意とした岸派の中にあっては、比較的おだやかな作品を描き、とりわけ花鳥図をよくしています。
連山は、「虎溪三笑図」(二面)、「老松孔雀図」(四面)、「芙蓉双鶴図」(四面)、「桜花雀図」(二面)、 「鶴翔鶴図」「芦群鶴図」(各四面)の計二十面を描いています。 「虎溪三笑図」の人物の表現には、岸岱とは異なった大らかさが感じられます。 特に、顔の表情は印象的です。一方、他の花鳥図は、連山の得意とするところで、孔雀や鶴、雉子などの鳥は、 生き生きとよく描かれています。おそらく、相当に自然の観察や写生から得たものでしょう。 また、桜、松、芙蓉、芦なとの花木や植物も、つけたての筆致(輪郭線を描かない描き方)で、木や葉を表現して、 実に穏やかな感覚を与えています。
この隆国寺の岸岱、岸連山の襖絵は、数ある彼らの作品中では、特に代表的な作品として位置づけられるでしょう。

岸派のふすま絵
布金長者峰 隆国寺
耕作図 耕作図 猛虎図 猛虎図 芦群鶴図 芦群鶴図 桜花雀図 虎渓三笑図 老松孔雀図 芙蓉双鶴図